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グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”
グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”
グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”
筒井 賢治

グッド 2世紀に発達したキリスト教系グノーシス主義を中心に、反宇宙論的な二元論をとなえるグノーシス主義の概要を紹介した入門書。ウァレンティノス派、バシレイデース、マルキオンという、キリスト教系グノーシスの3大潮流について大まかに解説しつつ、ギリシア哲学やキリスト教以外の他宗教、グノーシス以降の異端二元論、ナグ・ハマディ文書発見以降の研究課題など、広がりのある視点を提供してくれる。これからグノーシスについて学ぼうとする場合、まずはこの本でグノーシスの全体像を俯瞰してから資料を読むのがいいと思う。「グノーシス」とひとくくりにされてしまう思想が、じつはまったく異なる複数の思想の全体的な“傾向”を指す言葉であることがよくわかるはずだ。

 読んでいて面白かったのはバシレイデース創造神話だ。「存在しない神」が存在したという否定神学や、そこから投げ落とされた宇宙の種というモチーフは、物理学が提供するビッグバン説とも無理なく共存できるものかもしれない。

 現世否定のグノーシス主義者たちが、いかにしてこの世を生きたかという問題には興味がある。グノーシス的な反宇宙論的な二元論を説く中世カタリ派の場合、この世に甘んじて生きる一般信徒と、現世否定を徹底する完徳者という出家集団の二重構造によって乗り越えられていた。2世紀のグノーシス派は、この点をどう考えていたのだろうか。

 この世を「悪」「失敗作」とみなすグノーシスの現世否定に、強い共感を覚える人たちは少なからずいると思う。そうした人たちが、それでもこの世を生きていくための知恵が、古代のグノーシス思想の中に隠されているかもしれない。

 個人的にはこれをきっかけにして、改めてグノーシス思想について調べてみよう(研究というほど大げさなものではない)と思うようになった。岩波から出ているナグ・ハマディ文書は第2巻だけを持っていたので、とりあえず第1巻と第3巻をネットで注文した。第4巻は現在版元品切れで重版の予定もないという。本屋に流通在庫がないか確認し、見つからなければネットをまめにチェックするしかないな……。(10/30)
| 聖書・キリスト教 | 19:27 | comments(1) | trackbacks(1) |
キリスト教思想への招待
キリスト教思想への招待
キリスト教思想への招待
田川 建三

楽しい 「イエスという男」の田川建三が、新約聖書をルーツとする(イエスをルーツとしているわけではない)キリスト教思想について解説した本。しかし単なる解説本ではなく、キリスト教思想やキリスト教史、西欧史、そしてもちろん新約聖書についての、自由なエッセイという感じの仕上がりだ。内容的にはかなり専門的なことが書いてあり、特に新約学者として「ヨハネの黙示録」をザックリと解説するくだりは痛快。こんなに楽しい、そしてわかりやすい黙示録の解説は読んだことがない。目からウロコが落ちました。そうか、そうだったのか!

 全体は4部構成。扱っている内容は、創造論・教会論・救済論・終末論だが、後ろに行くにしたがってページ数が少なくなっているような気がする。体力の問題だろうか。しかしその筆は常に自由奔放、あっちに脱線しては戻り、こっちに脱線しては戻るの繰り返しだ。この脱線こそが、田川建三という著者の面白さであり、一度はまった読者を惹きつけて放さない魅力になっている。逆にこれが嫌いな人は、もう絶対にダメだろうけれど……。

 読んでいて気になったのは、この本の中にやたらと「それはいずれ出す『新約聖書概論』に書きます」とか「それは『新約聖書』の注釈できちんと書くつもりです」という記述がものすごく多いこと。それまで我々は何年待てばいいのでしょうか? (10/28)
| 聖書・キリスト教 | 20:44 | comments(0) | trackbacks(1) |
イエスという男
イエスという男
イエスという男
田川 建三

嬉しい 日本でも有数の聖書学者である田川建三が、史的イエスに挑んだ代表作の増補改訂版。旧版を買いそびれているうちに絶版品切れになり、ああ悔しいと思っているところに現れた新版だ。この本に描かれるイエスは、史的イエスを取り上げた他のどんな本よりも生々しくリアリティがある。そのイエス像の特徴を著者は「逆説的反抗者」と呼んでいるが、要するに舌鋒鋭く体制批判する命がけの皮肉屋ということだ。世の中の動きから距離を取り、自分の身を安全なところにおいた上で、対象をシニカルに批評してみせる皮肉屋なら世の中にいくらでもいる。だが田川版のイエスはそうではない。イエスは対象の目と鼻の先まで近づいた上で、相手をグサリと突き刺すような皮肉を言ってのけるのだ。これじゃ相手に恨まれる、憎まれる。皮肉の矛先はいつだって体制側であり権力者だったから、こんな態度を続けていれば最後は殺されてしまう。そして事実殺された。

 このイエス像に説得力があるのは、この像が著者自身の姿の投影でもあるからだろう。怒りっぽいイエス。体制による差別や搾取に憤り、宗教と政治でがんじがらめになった社会システムに異を唱え、今虐げられている者たちこそが「神の国」に入らねばならぬと説いたイエス。イエスの憤りや怒りは、そのまま著者田川建三が、自分自身の人生の中で抱いてきた憤りや怒りなのだ。著者はそれをまったく隠そうとしない。聖書の記述と自分自身の個人的な体験を堂々と重ね合わせてしまう。

 そんな著者だから、聖書の中のどの部分がイエスの本当の言葉であり、何が後世の創作なのかを見極めるポイントも、最終的には自分が共感できるか否かというところに求めている。もちろんそこに学術的な裏付けも何ほどかはあるのだろうが、それにも増してまず優先されるのは「自分がどう考えるか」なのだ。「私がイエスの言葉だと思ったんだから、これはイエスの言葉に違いないのだ!」と言いたげなその態度を、学問的ではないとか、乱暴だとか批判することは簡単だと思う。でもどうせ「史的イエス」の探求など、どこかにそうした乱暴さがあるものだ。

 「史的イエス」は「私的イエス」なのだ。人はイエスについて語る時、そこで自分自身について語っている。誰もが自分自身を投影できる大きさを、イエスという男は持っているということだろう。

 イエスの個性について言うなら、これはあくまで「田川版イエス」だと思う。異論反論があって当然。でも著者が紹介する1世紀パレスチナの社会状況や、各種ラビ文書の紹介などは一読の価値がある。そこから読者が、自分なりの「私的イエス」を作り上げる手がかりが得られるだろう。(10/22)
| 聖書・キリスト教 | 23:16 | comments(1) | trackbacks(1) |
西欧中世の民衆信仰―神秘の感受と異端
西欧中世の民衆信仰―神秘の感受と異端
西欧中世の民衆信仰―神秘の感受と異端
R・マンセッリ著 大橋喜之訳

しょんぼり 高度な神学論と迷信と混交した世俗の信仰に分裂していると思われがちな中世キリスト教だが、ふたつは必ずしも別々のものではなかった……という指摘はなるほどと思わせる。しかしこの本、訳文がひどく読みにくいのが難点。また著者はこの分野にある程度知識を持った研究者向けに書いているようで、「ご存じの通り○○は」とか「○○が有名ですが」とか「○○と同様と言えましょう」などと何の断りもなく固有名詞が飛び出してくる。こうした事例についてある程度以上の知識がないと、著者の言おうとしていることは半分も理解できないだろう。正直僕にもチンプンカンプンな部分が多かった。全体の5分の2ぐらいが補遺と注釈になっているのだが、本文に一通り目を通したところでギブアップ。補遺はまた別の機会に読むことにしようと思う。(9/17)
| 聖書・キリスト教 | 11:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
新約聖書入門
新約聖書入門
新約聖書入門
笠原義久

嬉しい ずいぶん前に買って、一度読み始めたもののすぐに投げ出してしまった本。あれから僕も聖書についてあれこれ勉強をして、この本もすらすら読めるようになりました。新約聖書の成り立ちや各文書の特徴について、簡潔にまとめた本。しゃべり言葉のような文体で、全体を25講に分けてあるのも読んでいて区切りがつけやすい。ブルトマンから始まる現代聖書学のおおまかな流れを、最新の事例や著者自身の批判的意見も交えながら紹介している。議論百出の聖書学について、見事に交通整理してくれるという点では使い勝手のいい本だと思うが、ひとつの項目は分量が少ないので、あらかじめ他の本で聖書学全般について知っておいた方がいい。もちろん新約聖書も、一度は通読しておくことも前提になる。聖書を読んだこともなく、教会に通ったこともない人が、手軽に手を出せる本ではないと思う。(9/16)
| 聖書・キリスト教 | 10:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
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